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2018年12月05日
スタッフブログ

松江の歴史【古代~近代】歴史が見える松江

古代

松江市南郊の大庭・山代・大草地域には多くの古墳群があります。

山代二子塚(ふたこづか)古墳(94m)は出雲地方最大の前方後円墳です。

風土記の丘の岡田山一号墳からは、「額田部臣」(ぬかたべのおみめいぶん)

銘文入りの太刀(重要文化財)が出土しています。

矢田町の平所(ひらどころ)遺跡から出土した埴輪(はにわ)の

「見返りの鹿」(重要文化財)は、写実的で洗練された造形美を見ています。

 

奈良時代には大草町の六所(ろくしょ)神社周辺に国庁が置かれ、中央政府から派遣

された国司が出雲国9郡(平安時代には10郡)を治めました。出雲国司として赴任し

た門部王(かどべのおおきみ)の歌が『万葉集』巻三に、「出雲守門部王、京を思ふ

歌」として「飫海(おうのうみ)の河原の千鳥汝が鳴けば吾が佐保河の思ほゆらくに」

が載っています。

飫海は現在の中海、佐保河は奈良の都を流れる川のことです。

出雲国庁にあって遠く奈良の都をしのぶ望郷の歌です。東出雲町の

阿太加夜(あだかや)神社境内に歌碑が建っています。

 

733(天平5)年に成立した『出雲国風土記』は、唯一の完本風土記として、残されてい

ます。

出雲国庁跡や竹矢町の出雲国分寺跡の遺構は復元され、往時の面影を偲ぶこと

ができます。

また、古墳や国庁・国分寺の出土品は、県立八雲立つ風土記の丘資料館

で見ることができます。

中世

鎌倉幕府の成立によって、出雲国守護に補任された佐々木義清が入城した

広瀬の月山富田(がっさんとだ)城は、南北朝時代には山名氏、室町時代には京極氏の居城となりました。

富田城が最も華やかに歴史の舞台に現れたのは、京極氏の守護代であった尼子経久の時
代です。

経久は守護の京極政経を追放し、戦国大名に成長しました。

経久の孫晴久は1552(天文21)年、出雲・隠岐・伯耆・備前・美作など山陰・山陽8ヵ国の守護職につき、尼子氏として最大の範囲を領有支配しました。

晴久はさらに勢力拡大を図るため、安芸の毛利氏を攻めたが敗北し、

さらに義久の代になって毛利元就に侵攻され、1566(永禄9)年、富田城は開城しました。

近世

1600(慶長5)年11月、関ヶ原の戦いに戦功のあった堀尾忠氏は、

出雲・隠岐両国24万石の太守として、父吉晴と共に、

遠江(とおとうみ)国(静岡県)浜松から広瀬の月山富田(がっさんとだ)城に入りました。

しかし、月山富田城は中世の山城で多くの欠陥を持っていたため、

幕府の許可を得て松江に移城することにしました。

1604(慶長9)年、忠氏が28歳で急死、嗣子(しし)の忠晴は6歳であったため、

祖父吉晴が国政を補佐し、城と城下町の建設は1607(慶長12)年に着工、

5年の歳月をかけて1611(慶長11)年に完成しました。


国宝松江城は、亀田(かめだ)山(28.4m)の低い丘陵上に構築された平山城です。

天守は複合式で4重5階地下1階の望楼型。

外壁は黒を基調とし、桃山時代初期の古式を伝える建築です。

松江城天守は現存する12天守の一つで、古さでは5番目、高さでは3番目、

平面規模では世界遺産の姫路城に次いで2番目の威容を誇っています。

城下の町割りは、橋北の城に近い殿町・母衣町・内中原町・田町一帯を侍町、

その外側の末次本町・茶町・苧町・東本町は町人町です。

橋南の白潟本町・八軒屋町・天神町・灘町などは町人町、

その南は足軽が住む雑賀町です。

また、橋南の東側には、合戦のとき出城となる寺町があります。

城は内堀で囲み、侍町の周囲には外堀(北田川・京橋川・四十間掘川・田町川)が

めぐり、道路は鈎型路(かぎがたろ)・丁字路(ていじろ)・袋小路(ふくろこうじ)

や勢溜(せいだまり)を設け、実践を意識した合理的・計画的な城下町になっています。

松江開府の祖である堀尾氏は3代で嗣子なく断絶。

1634(寛永11)年に京極忠高が出雲・隠岐2ヶ国26万4千石の領主として、

若狭(わかさ)国(福井県)小浜から入封して、

斐伊(ひい)川・伯太(はくた)川の治水に努めたが3年で病没、嗣子なく断絶しました。

1638(寛永15)年、信濃(しなの)国(長野県)松本から松平直政が出雲国18万6千石(隠岐は

預かり)の藩主として松江城に入りました。


松平氏の時代は、度重なる天災や幕府への公務の出費などで藩財政が悪化していきました。

6代宗衍(むねのぶ)は中老小田切備中尚足(おだぎりびっちゅうひさたり)を補佐役

として「延享えんきょうの改革」を実施したが成功せず、隠居して藩主の座を譲りました。


7代治郷(はるさと)は家老朝日丹波郷保(あさひたんばさとやす)を登用して

「御立派(おたては)の改革」といわれる藩政改革を行い、

勧農抑商の政策によって藩財政は次第に好転していきました。

また、治郷は不昧(ふまい)と号し、茶の湯を極め、名物茶器の収集、陶芸・木工芸

などの振興を図り、茶道文化の成熟に寄与し、茶の湯と和菓子の文化を今に伝えています。


10代定安(さだやす)は津山藩松平家より9代斉貴(なりたけ)の養子として

迎えられ、親藩として、

長州征伐や鎮撫使(ちんぶし)事件など幕末の多難な時期の藩政に当たりました。

1869(明治2)年版籍奉還の後、定安は松江藩知事となり、

廃藩置県の1871(明治4)年まで務めました。

近・現代

明治維新後、松江は島根県都となり、

1889(明治22)年4月1日に市制を施行しました。

1890(明治23)年8月、ラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)が

島根県尋常中学校の英語教師として赴任し、

のちに妻となる小泉セツと出会い、塩見縄手(しおみなわて)の旧武家屋敷で暮らし

翌年11月、熊本の第5高等学校に転任しました。

ハーンは『知られざる日本の面影』を著わして日本文化を広く世界に紹介しました。


1951(昭和26)年3月、ハーンの由縁をもって、

松江市は住民投票を経て京都、奈良に次いで全国3番目の国際文化観光都市

となりました。小泉八雲旧居や武家屋敷が並ぶ塩見縄手は、

1973(昭和48)年、松江市伝統美観保存条例の美観地区に指定され、

1987(昭和62)年には「日本の道百選」に選ばれました。

松江は水の都で東洋のベネチアとも言われています。

築城の際に作られた内堀と外堀を巡る遊覧船の運航が1997(平成9)年に始まりました。

屋根つきの小船に乗って、伝統美観地区の眺望や松江城を取り巻く自然を楽しむことが

できます。

 


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